毎年、New Jerseyに訪れて各地で法話をされているスリランカ出身の僧侶バンティ・スジャータの瞑想教室、備忘録です。今年も30人以上の人が集まりました。集まった多くの人がクリスチャンで、アメリカにおける宗教を超えた仏教への関心はかなりなものです。

ちなみに、バンティ・スジャータの本拠地はシカゴにあり、キリスト様と仏陀が共存する大変ユニークな教会だそうです。

リラックスと瞑想の違いは?

リラックスは一時的なものです。たとえば、ヨガの最後のポーズ、シヴァーサナの後はリラックスした状態ですが、帰途についた途端、日常に戻りさまざまな感情に再び翻弄されます。このようなリラックスは一時的な心のトランス状態に過ぎません。

瞑想は、心の目覚めです。心の修養と自己開発。愛情、優しさ、平常心を修養していくことです。そして、それは幸せへと導きます。

さまざまな瞑想方法に迷った時は?

現在、アメリカには多種多様な瞑想方法が存在しています。私がスリランカで修行していたころには、そんなにたくさんの瞑想方法があるなんて知りませんでした。瞑想はただひとつでした。

ですので、多種多様な瞑想方法に迷う人の気持ちが最初はわからなかったのですが、アメリカに来て、しばらく経った頃、先輩の僧侶にお茶を買ってきて欲しいと頼まれてスーパーに行き、棚に並ぶ、ありとあらゆる種類のお茶を前に途方にくれてしまいました。よく眠れるためのお茶。すっきり目覚めるためのお茶。リラックスするお茶。集中力を高めるお茶などなど。選択肢が多すぎることは必ずしも人を幸せにはしません。

では、なぜこのようなたくさんの選択肢が生まれるのでしょうか。それは人々の弱い心にあります。ビジネスは人々の弱い心につけこむのです。それがビジネスの性質でもありますから悪いと言っているわけではありません。ただ、私たちは常に、このようなことにマインドフルな状態で注意深くなければなりません。

許すこと&自分を愛することとは?

私のシカゴのコミュニティーに熱心に通い、ホームレスを助けるボランティア活動なども活発にしている女性がいました。ところが、その人は自分自身は愛せない人でした。自分自身を愛することは、利己主義だと考えていました。彼女は、こどもの頃にアルコール中毒の母親に虐待を受けて母親をずっと憎んでいました。そんな自分を愛することができなかったのです。でも彼女は他人のために尽くしている自分のことを非常に慈愛に満ちた人だと思っていました。

ある時、法話の中で「まずは自分を誰よりも先に自分を愛すること」について話をしていると、いつも穏やかな彼女が強い口調で「バンテ。あなたはセルフィッシュ(利己主義)だ。」と私を咎めました。

そこで私は、「自分を愛することのできない人が他人を愛することができるでしょうか。」と問いかけました。すると彼女は「自分を愛せなくても他人を愛することはできる。」と言いました。そこで私は「他人に尽くしているようでも、実はそれは実は、利己主義からやっていることではないか。」と問いかけました。

「あなたが誰かにプレゼントをします。その相手が、もし『ありがとう』という言葉を言わなかったら、あなたの心はどんな反応をしますか?怒りますよね。つまり、あなたは他人に尽くしているとしても、実はお返しに感謝の言葉を受け取ることを期待しているのです。もしくは人に与えることによって自分が良い事をしたと思い良い気持ちになることを期待しているのです。つまりは実は自分のために他人に尽くしているのです。」

彼女は怒り、教会を飛び出して行きました。

何年かが過ぎ、彼女からメールが来ました。「私は長い葛藤の末に、ついに母親を憎む心を手放しました。If she knew better, she didn’t do that.「もし母が別のより良い方法を知っていたなら、虐待はしなかった。」「憎しみの心を抱くことで一番苦しんでいるのは自分であるということに気づき、手放したのです。」と。

ある冬の朝、雪の残る教会の駐車場に年老いた母親の手を引く彼女の姿がありました。その日から、彼女と彼女の母親は教会のコミュニティーのために尽くしました。そして、その数年後、私は彼女の母親を看取ったのです。

許しという言葉は仏教の言葉にはありません。許すとは、ネガティブな感情を手放すことです。

もし本当に他人のために何かをしたりあげたりするのであれば、その場で感情的にその行為や物を手放しましょう。

まずは自分を愛することについて

飛行機に乗った時の安全アナウンスで「非常時に空気マスクが降りてきたら、まずは自分のマスクを着けてから、他の人をアシストしてください。」と言いますね。なぜだと思いますか?・・・・それと同じことです。

体内の酸素飽和レベルが下がったとき、人は、ほんの数秒で正常な意識が保てなくなり自分の目の前にある酸素マスクをつけるという単純作業さえできなくなります。

慈愛の瞑想

May I be well
May I be happy
May I be peaceful

ここからは、私(ブログ筆者)の理解のプロセスを付け足します。「慈愛の瞑想」は英語だと「Loving and Kindness Meditation」と言います。私の中では、「自分を愛する」というところが、やはり消化し切れないものがあったのですが、「仏教の慈悲」というサイトを読んで、やっと納得ができました。

仏教の慈悲や慈愛の観念が英語に直すと、Loveになってしまうところに、まずは理解への障害が生じていることに気づきました。日本語の愛ともまた違います。

  • 愛するとは→傷つけないこと、害しないこと、憎まないことetc….
  • 憎しみ怒りなどの否定的な感情を持つこと→自分を害している→(ゆえに)自分を愛していないということ
  • (つまり)自分を愛するとは→憎しみ、怒りから自由になること

こんな感じの方程式になると思います。

長いですが、ヨガ哲学を学ぶと必ず直面するアヒムサ/アヒンサー「非暴力」が、どうもピンと来ないと思う方は特に、是非、読んでみてください。

仏教の慈悲」 から一部引用します。

「非暴力もまたとても素晴らしい原理ですが、それは否定的な側面です。この慈悲というのは、仏陀の教えによれば二つの側面を持っています。一つは否定的な側面、「憎しみと敵意がないこと」を意味しています。憎しみがないことは素晴らしいことですが、その肯定的な側面、つまり慈愛が強調されなくては充分ではありません。悪を行わないことはとても良いことですが、それは単に否定的な側面であって、善を行うということが肯定的な側面なのです。メッタ(仏教の慈悲)にもこの肯定的な側面があります。 」

「愛についての瞑想は、私達の内側から始めなければならないのです。私達は自分を愛している、とあなたは言うかもしれません。もしそうであるならば、自分の中に怒りの思いを持つことで、自分を害することができるでしょうか。あなたが人を愛している時、その人を害することができるでしょうか。自己を愛するとは、利己的なこと、憎しみ、怒りなどから自由になることを意味します。ですから、このような望ましくない感情を自分の中から取り除くために、自分を愛さなくてはならないのです。」

次回も、バンテの法話の続きです。「マインドフルネスと瞑想を正しく理解する」

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筆者

ホーバン村松由美子

米・ニュージャージー州在住。1982年ハタヨガに出会う。1986年に渡米。RYT500 & Prenatal (マタニティー) & シニアヨガインストラクター。米にてInternational Association of Yoga Therapists 取得中。「セラピーとしてのヨガ」がライフワーク。