「ガンジー」は1982年に公開された映画ですが、今こそ多くの人に見て欲しい作品です。Amazonで視聴可能です。当時、話題作となったこの映画を観た時は、平和とか人種差別とか宗教対立とかに無頓着で、長くて退屈してしまったことしか覚えていません。

でも、今回、数十年ぶりに見てみて、終始、ガンジーの人生の軌跡に感動しました。一般に、1980年代あたりの映画を見ると、なんとなく古臭い、テンポが微妙に違うと感じることが多いのですが、この映画に関しては、全くそのような印象はありませんでした。

ストーリーは、イギリスの支配下のインドで超エリートの家庭で生まれ育ち弁護士となった若きガンジーが、1893年、南アフリカで電車の一等車への乗車拒否にあったことをきっかけに人権問題に目覚め、さらに「非暴力・不服従」の思想を確立、自らの命を賭してインドを独立に導くまでを描いています。

初回と違って、この映画に共感できたのは、私も1986年にアメリカに留学し、町のスーパーで初めて人種差別という洗礼を受け、その後も36年間のアメリカ生活の中で、何度か人種差別されることの痛さと悲しさを経験してきたためだと思います。

外見という一点だけで、いきなり自分を全否定されてしまうことは、大変ショッキングなことでした。特に階級意識の強いインドでエリートとして育ったガンジーにとって、乗車拒否を受けたことが、人権問題に目覚める強力なきっかけとなったことは想像に難くありません。

世界では今も、経済大国の人々による弱小国の人々への搾取、様々な差別や争いが、100年経った今でも存在し続けています。残念ながら多くの映画は娯楽消費物として、話題性を失い、ほんの一部のものを除いては完全忘れられてしまいますが、今また是非とも多くの人に見て欲しい映画だと思います。

アヒンサとサティヤ

ヨガ哲学の八支則における道徳的規範の一つがアヒンサ(非暴力)ですが、ガンジーにとってのアヒンサ(非暴力)は、単なる「暴力のないこと」を意味するだけでなく、より広い意味での愛と無私無欲、そして敬意に基づいた行動や態度を意味します。彼にとっての非暴力は、正義のために戦ったとしても、その戦い方は愛と敬意をもって行われるべきだという信念でした。つまり支配するイギリスに対しても愛と敬意をもって接するということでした。ガンジーは、非暴力の原則を、敵対的な感情や憎悪を抱くことなく実践しようとしました。この辺の思想はキリスト教の「なんじの敵を愛せよ。」から影響を受けたといいます。彼の目標はイギリスを敵として排除することではなく、イギリスとの和解を目指し、インドの独立を実現することでした。

ガンジーの非暴力の哲学は、人間だけでなく、全ての生命への深い敬意に基づいています。彼はヴェジタリアンであり、動物の権利を尊重する立場を取っていました。また、ガンジーは、外部の変革だけでなく、個人の内面の変革も非常に重要であると考えていました。彼にとって、非暴力は心の中から始まるものであり、それが外部の行動に反映されるべきだと信じていました。

さらに、ガンジーの考え方の中心には「サティヤ・グラハ」という概念があります。これは「真理の追究」と訳されます。ガンジーの哲学における真理とは、非暴力、すべての人々の平等、物質主義や欲望から解放されたシンプルな生活などです。これらは、人種や文化、宗教などが違っても、人としての真理だということです。サティヤグラハに基づく非暴力的抵抗は、敵を倒すことを目的としているのではなく、真理を共有し、双方が理解し合うことを目指しています。世界においては、いまだに、これは実現していませんが・・・・。

「サティヤ」も八支則の中にある規範で、私たちの言動において自分に対しても他人に対しても真実を語ることや誠実であることを尊重すると一般的に定義されています。

私の好きなガンジーの金言

束縛があるからこそ、私は飛べるのだ。
悲しみがあるからこそ、私は高く舞い上がれるのだ。
逆境があるからこそ、私は走れるのだ。
涙があるからこそ、私は前に進めるのだ。

明日死ぬかのように生きよ。
永遠に生きるかのように学べ。

あなたがこの世で見たいと願う変化に、あなた自身がなりなさい。

自分が行動したことすべては取るに足らないことかもしれない。
しかし、行動したというそのことが重要なのである。

平和への道はない。
平和こそが道なのだ。