京都大学の広井良典教授からケアサイエンスを学ぶ機会に恵まれました。ヨガを科学へ、と息巻いて大学に入り直しましたが、本質的に科学というものが再現性、客観性を前提としたものであり「個人の違いに寄り添うヨガセラピー」とは相容れるわけがないということがわかってきました。しかしその上でケアとしての科学という希望を持たせてくださった広井先生には感謝しかありません。下記に先生の論文をご紹介します。
「ケアとしての科学――科学哲学・公共政策の立場からみたケアサイエンスの必要性」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/tits/22/5/22_5_72/_pdf
『学術の動向』2017年5月号
近代科学の枠組みでは「科学(サイエンス)」と「ケア」が分裂する方向に進んでいったが、今後は対象との相互作用や出来事の個別性・一回性も重視した「ケアとしての科学」という姿が重要になってくるとし、ケアという視点が今後の科学全体のあり方やそこでの新たな自然観・人間観を先導していく位置にあることを論じる内容となっています。(京都大学こころの未来研究センターHPより抜粋)
以下、私の解釈となりますがケアとしての科学からみたヨガセラピーの可能性について先生の論文の要旨とともに考えてみたいと思います。
近代科学では人間の個体は独立した存在として扱われていました。人間の健康や病気というものを基本的に「個体」に完結したものとみなし、身体内部の物理化学的因果関係によって病気のメカニズムを説明するのが近代医学の枠組みでした。しかし近年、他者との関わり、コミュニティとのつながり、経済格差といった(個体を超えた)要因が、人間の健康あるいは様々な病気の生成に影響を与えていることを明らかにする「社会疫学(social epidemiology)」に注目が集まっています。
これまで「ケア」に関する領域は、しばしば「科学」的な厳密性や理論的裏付けに乏しいと考えられてきました。ヨガも例外ではありません。したがって「ケア」をいかに「科学」に接近させるかということが課題とされ、ヨガの領域でもたくさんの科学的研究が行われてきました。
しかし本来、ケアは再現性が困難な領域であり、トートロジー的になりますが、再現性が困難なものに対し科学的探究を行えば、さらに再現性が困難になります。例えば同じヨガのプログラムがあっても、セラピーとしてのヨガの実践には対象者の毎日異なる体調が反映されるため、同じ条件で客観的に比較することは理論的には可能でも実践的には不可能です。
そもそも科学においては「対象の客観視、支配・制御」が基調にあります。一方、ケアにおいては客観視、支配、制御に基づくことは無機質さを高めることを意味し、温かみのあるケアの実践のためには「対象との共感・相互作用」が求められます。このように「サイエンス」と「ケア」は本来相容れないものと考えられていました。しかし両者は人間を中心とした社会の実現に向けて融合する方向に舵を切り始めています。複雑で個別性の高いものを対象にした科学が目指されています。
ケアとしての科学のあり方
ケアとしての科学のあり方は、次の3点に要約されると広井先生は仰っています。第一に「関係性の科学」第二は「個別性・多様性の科学」第三は「内発性の科学」、このそれぞれは、ヨガのクラスでしばしば「自他の尊重」「一人ひとりの体調に合わせて」「呼吸で心を落ち着かせてエンパワーする」などの言葉で伝えられている内容です。
ヨガの世界観において「ホリスティック」「自然との調和」などという言葉を使えば、科学とは程遠い宗教めいたイメージで受け取られてしまうところ、広井先生の言葉をお借りして「ケアとしての科学」の姿は「内発性をもった自然・生命・人間が、多様な環境と相互作用しながら生成・発展する」という自然像と重なる、という説明を試みようとすると、たちまち説得力が強まるように感じるのは私だけでしょうか。
ヨガをサイエンスとして見ようとするとたくさんの難しさがあります。しかしケアサイエンスとしてこれら「関係性の重視」「個別性・多様性の尊重」「内発性の誘因」の視点で取り組んでいくことにはヨガセラピストはプロフェッショナルとしての自信と希望を持って良いのではないかと考えています。