今回は、医療化が進む社会におけるヨガセラピストの役割について考えてみたいと思います。

医療化とは

医療化とは、「かつては医療が扱うべきものとされていなかった現象が、医療の対象になること」を指します。医療化には、二つの流れがあると言われています。ひとつは「逸脱行動の医療化」で、社会的に望ましくないとされる行動を、家庭や学校・職場などの場で対処するのではなく、医療による介入に移行させる動きです。もうひとつは、「病気の捉え方の拡大」で、診断基準が変化することで、より多くの人が病名を付けられるようになる問題です。

産後の女性の健康問題との関わり

私がこの問題に関心を持ったのは、大学院で産後女性の健康問題について学ぶ機会がきっかけでした。産後の女性は、心身や環境の大きな変化に適応する過程で、”Maternal Distress”と呼ばれるストレスにさらされます。ストレス自体は病気ではありませんが、適応がうまく進まないと、さまざまな不調を引き起こすことがあります。

その中で、女性が産後の不調や産後うつの診断を隠したがる背景には、自分を恥じる気持ちや、周囲からの評価を恐れる気持ち(スティグマ)があることを知りました。「良い母親でいられない」と思い込む人や、それを認めたくないと悩み苦しむ人がいるという現実を目の当たりにしました。

逸脱という考え方を超えて

私たちヨガセラピストは、産後の女性に限らず、さまざまな不調や病気を抱えた人と接する機会が少なくありません。近年の研究により、病気に伴う「スティグマ」を感じている患者がいることが明らかになっています。つまり、病気を抱えることで、自分は「正常」から外れてしまった、という思い込みです。医療化の第二の流れである診断基準の拡大により、そのようなスティグマを抱える人が増えていくと思われます。

ヨガセラピストとして医療を支える役割を果たしていくために、私たちは「医療化」の流れとどう向き合うべきか、ヨガの哲学とともに考える必要があります。

ヨガの教えと医療化

ヨガの八支則の中で最初に挙げられるのが「非暴力」です。暴力というと、身体的な傷害を思い浮かべるかもしれませんが、ヨガでは「相手の存在を否定せず、ありのままに受け入れる」という心理的な非暴力も含まれます。他者を「ありのままに受け入れる」とは、自分の価値観や世界観の枠を超えて、他者を尊重することです。

人それぞれが持つ価値観や社会からの規範を基に「逸脱」を「悪」と捉えることがよくあります。しかし、正義や真実とは、それを信じる主体にとってのものであり、立場や視点が変われば、その意味も変わるものです。少数派の行動を逸脱とみなすのは、多数派の視点に偏っているかもしれないことを忘れてはならないと思います。

ヨガのあいさつである「ナマステ」には、「自分も大切、あなたも大切」という意味が込められています。自分の正義を尊重するように、相手の正義も尊重したいというメッセージが含まれています。自分の正義に基づいて相手の存在を否定することは、ヨガにおいては暴力にあたるためです。

医療化の本来の目的

医療化の本来の目的は、治療可能な病気を医療の介入によって治すことであり、そのために医療従事者という専門家が存在します。病と健康の間には境界線があり、病とは定義によって決まるものです。治療とは、逸脱を正常に戻す取り組みでもあります。

しかし一方で、症状としての逸脱ではなくその人の生活の中において、逸脱ではなく正常に行われている部分に目を向け、支援していくことも必要だと考えます。先ほどの産後女性の不調についても、新しい変化した生活に適応していく支援(気分転換、よく眠れるようにするなど)、本人の適応努力を肯定し、励ますことが、治療とは別にできることではないでしょうか。そこには、治療する人―される人、という主従関係ではなく、より快適に生きる方法をともに模索する仲間的な関係性が求められます。 医療化が進むことで、診断名を得ることにより疎外感や逸脱感を感じる人が増える可能性があります。しかし、ヨガセラピーの「セラピー」は治療や医療そのものではなく、医療の役割を尊重しながら、ヨガの非暴力の教えに基づき、あえて人を逸脱した存在として扱わずに、生活の中で呼吸法や身体の動かし方を取り入れるアドバイスを行い、伴走していく支援を意味するのではないかと考えています。

《参考書籍》

逸脱と医療化: 悪から病いへ. ミネルヴァ書房, 京都, 2003.