障害と家族とヨガセラピー
ヨガセラピーと患者の家族

協会の翻訳を手伝ってくださっている駒屋有紀さん にお話をうかがいました。


反応したのは、がんばっての励ましの言葉ではなく、一瞬の手の感触でした


── 翻訳をお手伝いいただくことになったきっかけはなんでしょう?

もう何年前になりますでしょうか。岡部先生(日本ヨガメディカル協会代表理事)が2人目のお子さんのご出産で産休に入られる前の最後のワークショップ(リストラティブヨガ)に参加しました。今までとは全く違う、温かく優しいヨガに感動しその衝撃から、先生のヨガを学びたい!と思うようになりました。

その後、先生は産休、私も子育てと仕事、2人目出産等でなかなかヨガに戻るチャンスがなく…それでも先生のHPは時々チェックしていました。そんな折、協会設立、その後、翻訳お手伝いの募集を知り、とにかく少しでも先生のヨガに触れたい、学びたいとの思いから立候補させていただきました。

ヨガを学びに行く(息子を預ける)のが難しい為、また、臨床についても勉強したく、翻訳という形で協会に携わることが出来たらと思ったのです。

現在は、平日はフルタイムで仕事をしており、毎日寝落ちしています。ですので訳の提出に時間がかかり、恥ずかしながら貢献しているとはとても申し上げられません…。毎回反省ばかりです。


── ヨガは以前からやっていたのですか?

ヨガを始めたのは、留学後帰国し就職した後でした。夕食を食べる暇もなく終電に飛び乗り帰宅する日々の中、ストレス解消や気分転換のためにヨガを始めました。ヨガがブームになり東京にも沢山スタジオができた時期です。でも、どこかしっくりせず、スタジオを替え自分に合ったヨガ、先生を探すうちに、結婚出産、仕事復帰。

そろそろまたヨガをきちんと学びたいと思い始めた時、念願の先生のワークショップに参加する事ができました。

ダウン症の次男を通じてヨガセラピーの重要性を感じました

ヨガセラピーとの出会い

前後してしまいましたが、翻訳のお手伝いをしたいとご連絡したのは、次男のことも関係していると思います。次男にはダウン症があり間もなく3歳になります。

次男を通じて、病気、治療、家族の気持ち、医療や福祉…様々な事を知り考えるようになりました。病院の子ども達を知り、また当事者として、ヨガメディカル協会が目指すヨガセラピーの重要性を強く感じました。

医療、命を救う現場との衝撃な出会い


── お子さんを通して、さまざまな事を知り考えるようになったとのことですが、もう少し、その辺を詳しくお聞かせいただけますか?

私も家族(主人、長男)も、病院にお世話になることが殆どなく、年に1回風邪をひくくらいで、薬も飲まず、という生活でした。長男を助産院で出産し、次男も同様にと思っておりましたから、これまた病院(医療)とは縁のないところでお産をするつもりでいました。

臨月に入った時、子宮内発育不全と診断され急遽大きな病院に入院、入院直後手術にて出産となったのですが、病院/病気/医療等には全く無縁と思い生活をしてきて、ある日突然、病院に行かされ、言われるがまま入院手術、生まれた次男はすぐに医療処置を受け管につながれ保育器の中。今まで想像だにしなかった状況に頭も心もついていけず…という状態でした。

毎日通うNICU。当たり前なのに、その存在について今まで考えたこともなかった場所。そこにいるたくさんの赤ちゃんたち。病気、症状、障がいも様々。お産とは、母も子も命がけ。その命がどれほど儚く(正しい表現か分かりませんが、NICUの子たち(息子も含め)の命に対しそう感じました)そして重く尊いか。それは、私にとって、医療、命を救う現場との衝撃な出会いでした。

不安や疲れをどうすることもなく又どうしようともせず毎日を生きていました

病院では、子どもたちだけでなく、様々な親御さんを見かけます。スーツケースを持ちソファーで横になる人、夜、真っ暗な中PC画面の光にぼーっと照らされ、待合室の隅で仕事をする父親。診察の待ち時間に疲れ切った様子の親御さん…。みんな、状況は違う。様々な思いをもっている。でも、大切な命を必死で守っているのは同じ。

通院では長い待ち時間、多くの検査、そのたびに襲われる不安。きっと誰もが同じでしょう。出産~出産後間もない頃の自分を思い返すと、その不安や疲れをどうすることもなく、また、どうしようともせず、毎日を生きていたという感じでしょうか。

ネガティブなわけでは決してなく、退院翌日から、我が子に会いたいがためにバスに乗り面会に行く。貧血気味であっても。疲れた、辛い、それはきっと感じていたけれど特に認識することもなく、別にそれが普通だし特に不満に思うこと(暇?)もなかった。

病院に来る親御さんたちも、福祉施設での療育に付き添う親御さんたちも、不安やストレス、様々な悩みや体の不調があるかもしれない。でも、通院も療育も頻繁にあることだから、もしかしたら生まれた時からずっと続く当たり前、生活の一部になっていて、大変だと思うこともないかもしれない。ただそれが当たり前になっているから。もしくは、子育てが忙しすぎて認識する暇がないのかもしれない。そんな風に思います。

家族の気持ちについては、皆異なるでしょうけれど、健康、就学や将来への不安、親亡き後…大なり小なり不安があると思います。仕事や住む場所等、今までの生活を変えざるを得なかった方もいるかもしれません。実家が遠い、両親等近くに頼れる人がいないことも大きな負担となるかもしれません。

少しでも心が穏やかに、笑顔になれるよう何かできたら

ヨガセラピーと笑顔

また、悲しいですが、障がいを持った子に愛情を持つことができない方(両親、親戚等)もいると聞きます。人それぞれ、悩みも状況も様々ではありますが、少しでも心が穏やかに、笑顔になれるよう何かできたら、と考えるようになりました。

福祉についても、今まで全く知らない世界でした。役所の窓口、児童相談所、行ったこともない場所で初めての手続き。療育という言葉も初めて知りましたし、区の福祉センターという施設があることも、その施設でどのようなことが行われているかも、初めて知りました。

すべて、きっと次男がいなかったら私にとってこの先も知ることがなかった、考えることもなかったかもしれない世界、であるかもしれません。

こんなにも人の手が優しく温かいものかと涙がこぼれそうになりました。


── 「協会が目指すヨガセラピーの重要性を強く感じた。」というのは、特にどのような点でそう思われましたか?

医療現場でも、家族(家庭)でも、すべて”本人”へのケアなのです。それは当然なことだとは思います。でも、上記、自分がそうであったように、今でも病院で感じるように、親や家族が健やかであることもまた重要ではないかと思うのです。

大変だけど大変だと感じない、感じられない。辛いけど辛いと言わない、言えない。

ある意味感覚がマヒしているような状況と言うのでしょうか。頭は、”これをして、次はこれをして。明日は病院の検査、その次は…”と常にフル回転。体はそれに必死でついていく。肩が凝った、睡眠不足だ…体は信号を出しているのに、頭は気づくことなく先へ先へと進んでいく。

私が初めて先生のリストラティブヨガを体験した時、こんなにも人の手が優しく温かいものかと涙がこぼれそうになりました。何も言いませんし、こちらは目を閉じています。でも、そっと触れたその一瞬、心の奥深くにあるものが解放される感覚に震え驚き、感動したものです。

その頃、長男の子育てと仕事の両立に奮闘していた私は、「大変だね、頑張ってね」と誰かに言われても『大変だけどこれが普通だし、別に大変とも思わない。頑張ってと言われても…』というのが正直なところでしょうか。美容室に行って、最後にマッサージをされて「相当凝ってますね~」と言われても、『あ~、そうですね~、年中凝ってますから別に何も感じませんよ』というのと同じでしょうか。(←これ、私です。)

大変だよ、疲れているよ。でもそれが普通なの。当たり前のことだから、別に平気なの、と。でも、平気じゃない。いつか本当に体を壊すかもしれない。

私がリストラティブヨガで感じたように、頭ではなく、心というか体というか、本当は癒しを求めているし、反応するのです。

反応したのは、頑張っての励ましの言葉ではなく、一瞬の手の感触。寄り添ってくれているという感覚、安心感です。離れていた頭(思考)が心と体に戻ってきた、というような感覚を覚え、ちょっと無理していたかな、と自分を客観視する余裕、私は私のままでいいんだという自己肯定感も生まれました。

この時の感覚はその後もずっと私の中に残り、次男出産後も度々思い返すことがありました。

ヨガセラピーは患者さんだけでなく、患者さんをサポートする家族にも役立つ

患者さんをサポートするヨガセラピー

ヨガセラピーは、患者さんだけでなく、患者さんをサポートする家族、周りの方々にも役立つと思います。患者さんを支える方が笑顔であってこそだと思うのです。何も大それたことをする必要はない。そこにいる、寄り添ってくれる、その安心感でどれだけ家族の気持ちが救われるかと思うのです(病院で見かけた方々の姿を思い出します)。リストラティブヨガ、ファミリーサポートヨガが必要だと思います。